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译·校·注丨《伊豆的舞女》12

2024-06-09 02:03| 来源: 网络整理| 查看: 265

● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。

● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。

● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息。

译文

动身的早上,七点用过饭,荣吉便在路上唤我,正式地穿着件黑纹样的外衣,似乎是为了给我送行的打扮。看不到女人们的身影[83] ,我蓦地就觉得寂寞了[84] 。荣吉上房间来说:

“大家也想来送行,但昨晚睡得太晚起不来,抱歉了。说冬天等着您,还请一定再来。”

镇秋朝风寒。荣吉途中给我买了四盒敷岛香烟、柿子,还有薰(KAOL)牌的口腔清凉剂[85]。

“因为我妹名叫薰[86] 。”他微微笑着说,“船上吃橘子不好,但柿子能缓解晕船,所以能吃的。”

“把这个给你吧。”

我脱了鸭舌帽,给荣吉的脑袋戴上,又从包里拿出校帽,展平褶皱,二人一齐笑了。

一近码头,在海边蹲着的小舞女的身影便飞扑进了我的心口。她一声不响地,直到我走到她身旁。默默地垂着头。昨夜未褪的妆容更使我心绪翻涌,眼角的红给似是愤怒着的面容带上了稚嫩的肃杀之气[87] 。荣吉开口了。

“其他人也来了吗?”

小舞女摇摇头。

“大家都还在睡吗?”

小舞女点点头。

荣吉去买船票和舢板票的当儿,我搭讪着说了许多话,可小舞女只一劲儿地俯瞰着基槽入海处,一声不响,只在我话末了时,频频前仰后合地点着头。

这时——

“婆婆,这个人可以哩。”一个小工模样的男人朝我走近来。

“学生哥儿,去东京是吧,看你可靠,想拜托你哩,可以把这婆婆带去东京不?这婆婆可怜呀。儿子原在莲台寺的银山做活,可这次的什么流行性感冒弄得儿子儿媳都死啦,这么大的孙儿还留下三个,实在没法子了,我们商量着打算让回老家去,老家在水户,可婆婆啥也不懂,所以到了灵岸岛,麻烦让她搭电车坐到上野站去。麻烦是麻烦吧,可就算我们求求你啦,你看看这副情形,你看,可怜不可怜吧。”

呆立着的婆婆的背上,捆着一个吃奶娃,小的三岁,大的约莫五岁的两个女娃一左一右牵在手上,脏污的包袱里可以看见大个的饭团和梅干,五六个矿工正在安慰婆婆。我爽快地答应了照顾婆婆。

“麻烦你啦。”

“多谢嘞,咱们本也该送到水户的,可又没法子。”矿工们说着这些个话,挨个儿跟我招呼。

舢板晃得厉害。小舞女还是紧抿着唇向一侧凝视着。我就要抓住绳梯,回过头时,小舞女本想说再见,可还是没有,只又对我深深地点了点头。舢板返回了。荣吉把方才我刚送的鸭舌帽不住地挥舞着,离去很远了,小舞女开始挥舞起白色的东西。

直到轮船出了下田的海,伊豆半岛南端消失于身后,我都一径倚着栏杆,向着洋面的大岛一个心思地眺望[88] 。感觉和小舞女分别似乎是在遥远的过去。不知婆婆如何了,我朝船舱里探眼看去,发现众人已将其围坐起来,多方安慰着了。我心下安定,进了隔壁的舱室。相模滩波浪高涌,一坐下,时时左右翻倒,船员四处分发了小脸盆。我枕着包躺倒,脑袋空空,感觉不到所谓的时间。眼泪簌簌地淌到包上,脸颊都觉得冰了,把包翻了个个儿[89] 。我旁边一个少年睡着,他是河津的工厂长的儿子,去东京准备上学,对戴着一高校帽的我似乎抱有好感,聊了会儿,他说:

“你遇到什么不幸了吗?”

“没,是刚和人分别了。”

我非常坦然地说,哭了给人看见也不在意,我什么都没想[90] ,仿佛只是在痛快的满足中[91] 安静地睡着。

海不知不觉入夜了,網代和热海上了灯。肌寒腹空,少年为我剥开了竹包饭,我像是忘了那是他人之物似地把海苔卷寿司等吃了。而后窝进了少年的学生披风里。我感到一种美丽的空虚[92] ,仿佛无论受到如何亲切的对待,都能极其自然地接受。连明日一早把婆婆带去上野站,给她把到水户的票买了,都觉得是理所当然的事[93] 。感觉任何一切都融为一体了。

船舱的灯灭了。船上堆积的生鱼和潮水的味道浓浓泛上,漆黑一片中,受着少年体温的温暖,任泪水肆意奔流。脑中化为清水一片,扑簌簌溢了出来,之后便是一无所余似的甜美的快意[94] 。

[83]原文是“女たちの姿が見えない”, 姿是身影,見えない是看不见过往译本有的是“姑娘们早已芳踪渺然”→此处原文只是说看不见人,即人没来,没有该译本的“早已”所暗示的“人早走了”的意思,这种误译会造成情节的矛盾。[84]原文是“私はすばやく寂しさを感じた” ,“すばやく”是“快速的”,即“很快地感到了寂寞”过往译本有的是“一种剐心的寂寞,从我心底油然而生”→原文没有提到“剐心”,剐心与“快速”也没有可联想性。[85]原文是“口中清涼剤”,即口腔清凉剂过往译本有的是“清凉剂”→漏译了“口腔”。[86]原文是“薫”。过往译本有的是“熏”→熏和薰不是一个字。[87]原文是“眦の紅が怒っているかのような顔に幼い凜々しさを与えていた”。过往译本有的是“眼角的胭脂给她的秀脸添了几分天真、严肃的神情,使她像在生气”→原文“怒っているかのような顔(似在生气的脸)”中,“怒っているか(似在生气)”是修饰“顔(脸)”的。但译文将其处理成了因果关系,即小舞女“像在生气”,是因为“胭脂给脸上添了天真严肃的神情”,而原文在语法上无法判明因果关系,更重要的是,原文可能是想表述,小舞女此时的情绪是“生气”和“严肃”并存的,这种情绪一起指向了即将发生的和“我”的分离,如果将“生气”和“严肃”误读成因果关系,会削弱小舞女此刻复杂的情绪。[88]原文是“汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄干に凭れて沖の大島を一心に眺めていた。”,まで是“到xx(前方修饰的内容)为止”,即在まで之前的内容结束后,“我”一直在进行まで之后的动作。过往译本有的是“轮船出了下田海面,我全神贯注地凭栏眺望着海上的大岛,直到伊豆半岛的南端,那大岛才渐渐消失在船后。”→把整句前后分明的原文拆得四零八落,“我”是在船出了下田海面,伊豆半岛南端消失在身后之前,一直凭栏望着大岛。的确,译者可能想表达,船开到伊豆半岛南端,因为大岛消失,我眺望大岛的动作就消失了,但是,首先没有必要做这样的改写,反而复杂化,也不符合原文描述的逻辑和动作,其次,船不只是开到伊豆半岛南端,而是开过了,才看不到大岛。逻辑文意皆不符。[89]原文是“涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった”。过往译本有的是“泪水簌簌地滴落在书包上。脸颊凉飕飕的,只得将书包翻了过来”→原文中ほど,表示“脸冷,翻包”是“流泪”程度之高的体现,即“泪流得,使脸冷,还翻包”(此处为求流畅和保持原文节奏,在脸颊后加个“都”字来体现ほど),但该译本将这两句割裂,漏译ほど的逻辑关系,使“流泪”和“脸冷,翻包”变成无关的两个行为。有的是“眼泪扑簌簌流到书包上。面颊觉得冰凉,甚至想把书包翻个个儿。”→这里同样割裂了两句话,并且误解了ほど修饰的内容是因为脸颊太冷而想翻书包,因为翻书包原文用的是过去时,已经翻了,所以不会是未进行的“想翻”。[90]原文是“私は何も考えていなかった”,意为我什么都没想。过往译本有的是“我若无所思”,原文没有表示似乎的若。而且,此处的“我”的心境已经很清朗了,在语言上也不太会出现模棱两可的“若”。[91]原文是“すがすがしい満足の中に”, “すがすがしい”意为“清爽,爽快,通畅”,即一种没有滞阻的爽快感觉。过往译本有的是“只满足于这份闲情逸致”,→“すがすがしい”没有“闲情逸致”的意思。[92]原文是“美しい空虚”,美丽修饰空虚,即美丽的空虚。过往译本有的是“美好而空虚”→把美和空虚并列,语法错误,且此处强调的是这种不为任何念头难过的空虚心境是美的,所以更不宜并列。[93]原文是“明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、しごくあたりまえのことだと思っていた” ,。过往译本有的是“明早我将带着老婆子到上野站去买前往水户的车票,这也是完全应该做的事”→首先,原文的のも表示前面修饰内容是一种原本认为不那么理所当然该做的事,只是现在觉得也是理所当然的了,应加“连”或“甚至”,此处没有反映出来;其次,“と思っていた”表示前面的内容是“我”所想,所认为的,所以,把“我认为”漏译了,这里强调“我”的想法,是和这一段所反应的“我”的心境相契合的,漏掉会破坏情绪浓度。[94]原文是“その後には何も残らないような甘い快さだった”过往译本有的是“后来什么都没有留下,顿时觉得舒畅了”→漏译了“甘い”,“甘い”有“甜美”的意思,这个词是作品的关键词,反映了“我”在经历了相识到离别,这看似一无所余的过程中,其实收获了“甜美”的感受,与“一无所余”的表象形成对照,所以不宜漏译。原文

出立の朝、七時に飯を食っていると、栄吉が道から私を呼んだ。黒紋付の羽織を着込んでいる。私を送るための礼装らしい。女たちの姿が見えない。私はすばやく寂しさを感じた。栄吉が部屋へ上がって来て言った。

「皆もお送りしたいのですが、昨夜おそく寝て起きられないので失礼させていただきました。冬はお待ちしているから是非と申しておりました」

町は秋の朝風が冷たかった。栄吉は途中で敷島四箱と柿とカオールという口中清涼剤とを買ってくれた。

「妹の名が薫ですから」と微かに笑いながら言った。

「船の中で蜜柑はよくありませんが、柿は船酔いにいいくらいですから食べられます」

「これをあげましょうか」

私は鳥打帽を脱いで栄吉の頭にかぶせてやった。そしてカバンの中から学校の制帽を出して皺を伸しながら、二人で笑った。

乗船場に近づくと、海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。傍に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。昨夜のままの化粧が私をいっそう感情的にした。眦の紅が怒っているかのような顔に幼い凜々しさを与えていた。栄吉が言った。

「ほかの者も来るのか」

踊子は頭を振った。

「皆まだ寝ているのか」

踊子はうなずいた。

栄吉が船の切符とはしけ券とを買いに行った間に、私はいろいろ話しかけて見たが、踊子は掘割りが海に入るところをじっと見おろしたまま一言も言わなかった。私の言葉が終わらない先に、何度となくこくりこくりうなずいて見せるだけだった。

そこへ、

「お婆さん、この人がいいや」と、土方ふうの男が私に近づいて来た。

「学生さん、東京へ行きなさるだね。あなたを見込んで頼むだがね、この婆さんを東京へ連れてってくんねえか。可哀想な婆さんだ。倅が蓮台寺の銀山に働いていたんだがね、今度の流行性感冒てやつで倅も嫁も死んじまったんだ。こんな孫が三人も残っちまったんだ。どうにもしようがねえから、わしらが相談して国へ帰してやるところなんだ。国は水戸だがね、婆さん何もわからねえんだから、霊岸島へ着いたら、上野の駅へ行く電車に乗せてやってくんな。めんどうだろうがな、わしらが手を合わして頼みてえ。まあこの有様を見てやってくれりゃ、可哀想だと思いなさるだろう」

ぽかんと立っている婆さんの背には、乳呑児がくくりつけてあった。下が三つ上が五つくらいの二人の女の子が左右の手につかまっていた。汚い風呂敷包みから大きい握り飯と梅干とが見えていた。五、六人の鉱夫が婆さんをいたわっていた。私は婆さんの世話をこころよく引き受けた。

「頼みましたぞ」

「ありがてえ。わしらが水戸まで送らにゃならねえんだが、そうもできねえでな」なぞと鉱夫たちはそれぞれ私に挨拶した。

はしけはひどく揺れた。踊子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子につかまろうとして振り返った時、踊子はさようならを言おうとしたが、

それもよして、もう一ぺんただうなずいて見せた。はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。

汽船が下田の海を出て伊豆半島の南端がうしろに消えて行くまで、私は欄干に凭れて沖の大島を一心に眺めていた。踊子に別れたのは遠い昔であるような気持だった。

婆さんはどうしたかと船室を覗いてみると、もう人々が車座に取り囲んで、いろいろと慰めているらしかった。

私は安心して、その隣の船室にはいった。相模灘は波が高かった。坐っていると、時々左右に倒れた。船員が小さい金だらいを配って回った。私はカバンを枕にして横たわった。頭が空っぽで時間というものを感じなかった。

涙がぽろぽろカバンに流れた。頬が冷たいのでカバンを裏返しにしたほどだった。私の横に少年が寝ていた。河津の工場主の息子で入学準備に東京へ行くのだったから、一高の制帽をかぶっている私に好意を感じたらしかった。

少し話してから彼は言った。

「何かご不幸でもおありになったのですか」

「いいえ、今人に別れて来たんです」

私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただすがすがしい満足の中に静かに眠っているようだった。

海はいつのまに暮れたのかも知らずにいたが、網代や熱海には灯があった。肌が寒く腹が空いた。少年が竹の皮包みを開いてくれた。私はそれが人の物であることを忘れたかのように海苔巻のすしなぞを食った。そして少年の学生マントの中にもぐり込んだ。私はどんなに親切にされても、それをたいへん自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。明日の朝早く婆さんを上野駅へ連れて行って水戸まで切符を買ってやるのも、しごくあたりまえのことだと思っていた。何もかもが一つに融け合って感じられた。

船室のランプが消えてしまった。船に積んだ生魚と潮の匂いが強くなった。まっ暗ななかで少年の体温に温りながら、私は涙を出まかせにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。

读书 文学 川端康成 翻译 伊豆的舞女

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