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イギリス王室と日本皇室の違いは?それぞれの特徴や制度の違いから深ぼって解説していきます|ポイントデビューデジタル(POINT DE VUE DIGITAL) │ 世界の王室・セレブの歴史、文化、ファッションメディア

2024-07-09 12:36| 来源: 网络整理| 查看: 265

イギリス王室と日本の皇室は共通点があり交流も深いため、日本の方々もイギリス王室への関心は高いですよね。

イギリス国王も天皇も「国民の象徴」として国民を励まし、慈善活動や伝統文化継承の公務を通じて国民の連帯を深めています。

この記事ではイギリス王室と皇室それぞれの歴史・特徴などを紹介していきます。王室・皇室にますます親しみを感じてもらえるでしょう。

1 イギリス王室と日本の皇室の違いは?1.1 歴史の長さ1.2 文化1.3 政治1.4 私有財産2 大きな違いは「継承制度」にある3 王室の呼び名が「皇室」と「ロイヤルファミリー」で異なる4 イギリス王室の特徴4.1 多数の家を所有している4.2 実はイギリス人ではない4.3 女王の名前は2つ存在する5 日本の皇室の特徴5.1 あくまで象徴としての存在5.2 名字がない5.3 男系の継承6 イギリス王室と日本の皇室に共通点はある?7 イギリスの王室と日本の皇室は関係が深い8 イギリス王室と日本皇室の違いについて詳しく知りたいときは イギリス王室と日本の皇室の違いは?

イギリス王室と日本の皇室を歴史の長さ・文化・政治・私有財産で比較してみましょう。

天皇家のルーツは「神の子孫」として神話で語られていますが、イギリス王室の変遷には侵攻・内戦など戦いの歴史があります。また私有財産のあり方が大きく異なる点が興味深いです。

歴史の長さ

日本の皇室は、天照大神の孫にあたる神武天皇が即位した紀元前660年の創設とされています。宮内庁が保管する「皇統譜」に記録され、世界最古の王室としてギネス世界記録にも認定されました。

初期のころの天皇は神話・伝説を含む「古事記」「日本書紀」の記述に基づいており、その実在性が議論となってきました。遅くとも6世紀以降の天皇は実在したとされ、世界最長ランキング2位のデンマーク王室が10世紀創設ですから日本の皇室はなおも最長となります。

イギリス王室はランキング3位となる1066年が始まりとされます。フランスの領地を与えられていたノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王国に侵攻し、ノルマン朝を開いて王室の開祖となりました。

ギヨーム2世は英語式の発音でウィリアム1世となり、イギリスでは「ウィリアム征服王」と呼ばれています。エリザベス女王・チャールズ国王ら歴代の王位継承者が血統を受け継いでいます。

文化

共通のお題で和歌を詠み披露する「歌会始の議」が天皇主催で毎年1月に開かれています。一般から受け付けた歌の入選作品も詠み上げられ、国民も参加できる宮中行事です。

岐阜・長良川の鵜飼漁は皇室に保護されており、現在でも外国要人の接遇などの際に紹介されています。鵜匠は律令時代に宮廷直属の官吏だったという記録が残り、漁が消滅危機だった明治時代には当時の宮内省職員の身分を与えられ、長良川に御料場も設けられました。

皇室には美術品も多く受け継がれています。奈良の東大寺正倉院には8世紀に聖武天皇を亡くした光明皇后が遺品を寄贈したことに始まり、その後200年にわたり仏具などが集められました。

それらの正倉院宝物には中国・インド・ローマ・エジプトの要素がみられ、「正倉院はシルクロードの終着点」という言葉が表すように世界的にも重要な資料です。

イギリス王室に伝わる文化としては競馬の祭典「ロイヤルアスコット」があります。毎年6月に王室主催で5日間開かれ、300年以上の歴史があります。王室関係者のエレガントなファッションにも注目が集まり、期間中30万人が訪れるそうです。

動物にまつわる行事は、12世紀に女王が所有権を宣言したというテムズ川の「女王の白鳥」にちなみ個体数を毎年調査するものがあります。

また世界遺産ロンドン塔に住むワタリガラスがいなくなると王室が崩壊するという17世紀の予言にちなみ、「6羽以下にしてはならない」として王室職員が保護しているそうです。

政治

天皇陛下や皇族は国民を励ます被災地訪問・伝統文化の継承・外国訪問などの公務に取り組んでいますが、政治的な発言は一切ありません。

現行の日本国憲法では「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めているからです。

戦前の大日本帝国憲法では天皇に主権(政治の決定権)がありましたが、現行憲法で国民主権に変わりました。背景には太平洋戦争下で軍部の暴走を止められなかった反省があり、戦後GHQの主導で現行憲法が起草されました。

イギリスでも国王は象徴的な存在で「国王は君臨すれども統治せず」としています。

イギリスでは1689年に名誉革命で新たに即位した国王が議会の優位性を認め、君主の権利を制限する「立憲君主制」が世界で最初に確立されました。その後、君主の行政権を内閣が代わる形となり議院内閣制といった民主主義の基礎がつくられていきました。

私有財産

皇室財産は戦後すべて国の所有となりました。皇居・赤坂御用地・京都御所・正倉院などがあり、皇室の活動のために使われています。

皇族の各個人には皇室費が毎年支出され、現金の私有財産となります。法律で定額が決められており、2022年度は天皇陛下などの皇族17人に計6億円近くが計上されました。

一方、イギリス王室が使用しているバッキンガム宮殿・コーンウォール公領・バルモラル城などの不動産は王室の財産です。その他の資産も含め、王室の保有資産は4兆円に上るともいわれています。

さらに王室の各メンバーは事業・資産などの収入があり、毎年その額を公表しています。国からの支出には王室助成金がありますが、これは国王保有の不動産「クラウン・エステート」で得た収入の15~25%を受け取るもので、国家にも利益をもたらしているのです。

大きな違いは「継承制度」にある

イギリスのエリザベス女王に知られるように、日本の天皇の継承制度との最も大きな違いは性別を限定しているかどうかでしょう。

日本の憲法第2条は「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めています。皇室典範は皇室について定めた法律で、皇位継承資格を男系男子に限定しています。

つまり男系男子の悠仁親王が、父の秋篠宮さま以来となる皇位継承資格者です。男系女子の愛子内親王には資格がありません。

イギリスでは2013年に王位継承法が改正され、継承順は国王の直系子孫で男女の区別なく長子から順位がつくようになりました。改正前は兄弟姉妹のうち男子優先でしたが、エリザベス女王の例があるように女王は容認されていました。

またイギリスの国王はプロテスタントに限定されます。法律の改正前はカトリック信徒との結婚で王位継承資格が失われましたが、その規定もなくなりました。

王室の呼び名が「皇室」と「ロイヤルファミリー」で異なる

イギリス王室の「ロイヤルファミリー」と異なり、日本の皇室を英語で表すと「インペリアルファミリー」です。

天皇は「エンペラー」で「皇帝・王の中の王・唯一の神」といった意味もあります。「天皇」の文字が最初に使われた例は、7世紀に聖徳太子が中国に送った文書です。

「天皇」の文字は中国の神話が由来であり、聖徳太子には日本の王は中国皇帝と対等だと主張する意図があったといいます。それまで中国からは「倭王」の称号が与えられ、中国皇帝の臣下の位置づけでした。

「天皇」の称号は702年の大宝律令で法的に定められます。天皇は現在に至るまで万世一系です。

イギリス王室は1066年のノルマン朝以降、王位継承を巡るクーデターが起きたり断絶したために外国から国王を迎えたりした王朝の変遷があります。2023年現在は、チャールズ国王のウィンザー朝が引き継いでいます。

イギリス王室の特徴

イギリス王室は、王族それぞれがビジネスに従事したり軍人として戦地に赴いたりと国民と共に活動してきました。莫大な保有資産には注目すべきものがあるでしょう。また意外と知られていない特徴もあります。

多数の家を所有している

エリザベス女王夫妻だけでもバッキンガム宮殿・ウィンザー城・バルモラル城・サンドリガム・ハウスといった居宅・別邸を行き来していたといい、王室メンバーは多くの邸宅を所有しています。

チャールズ国王夫妻はクラレンス・ハウス、ウィリアム王子一家はケンジントン宮殿に暮らしています。アンマー・ホールは、エリザベス女王がウィリアム王子夫妻にプレゼントしたそうで結婚後しばらく暮らしていました。

実はイギリス人ではない

イングランドの基礎を築いたのはアングロ・サクソン人ですが、イギリス王室の開祖はフランスに領地があったノルマンディー公ギヨーム2世でノルマン人(北方系ゲルマン人)でした。

ハノーヴァー朝はドイツから国王を迎え、その子孫でエリザベス女王の高祖母であるヴィクトリア女王はドイツ連邦国の公子アルバートと結婚。嫡男のエドワード7世はデンマーク王女と結婚するなど外国から配偶者を多く迎え入れています。

現在のウィンザー朝はドイツ連邦名だったため、第一次世界大戦中に国民の反感を避けるため改名したものです。エリザベス女王の夫フィリップ殿下もギリシャとデンマークの王子でした。

イギリス王室は特にドイツとの関係が深い血筋といえるでしょう。

女王の名前は2つ存在する

2022年に亡くなったエリザベス女王は、過去にもエリザベス女王が存在したため「エリザベス2世」です。エリザベス1世はイングランドの黄金期と呼ばれる16世紀末に即位した女王でした。

ただエリザベス2世は、母のエリザベス王妃から譲り受けた名前です。エリザベス王妃が健在だった当時、国民はエリザベス2世と区別するため「クイーン・マザー」と呼んでいました。

日本の皇室の特徴

皇室の活動は節目ごとにニュースとなりますが、改めて学ぶと知らないことや再発見することも多いでしょう。

天皇は政治には関与しませんが、国会で果たす役割は意外と多くあります。皇族に名字がないというトリビア・長年の課題である皇位継承の成り立ちについてもご紹介します。

あくまで象徴としての存在

1947年に施行された日本国憲法では天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としており、政治にはかかわらないことを定めています。

ただ国会や外交で天皇の役割はあります。内閣総理大臣の任命・法律や条例の公布・国会の召集・国会議員の総選挙施行の公示などの国事行為です。これらは内閣の助言・承認によるもので、責任は内閣が負うものとしています。

名字がない

天皇陛下や皇族には名字がありません。秋篠宮・常陸宮・三笠宮・高円宮といった宮家の称号は「宮号」という当主個人の称号であり、国民の名字には当たりません。

日本の名字は、古代のヤマト王権が豪族・貴族に氏(うじ)と姓(かばね)を与えた「氏姓制度」に始まります。大王(のちの天皇)は氏姓を授ける地位であり、自ら氏姓を持つことはありませんでした。

また皇族は1つの家系から続いているため他と区別する必要がなく、名字が存在しないといわれています。

天皇を含む皇族には戸籍がなく、身分関係・血統を記録しているのは「皇統譜」という帳簿です。系図で父系をたどると皇統第1の神武天皇、さらに世系第1の天照大神にたどり着きます。

男系の継承

皇室について定めた法律である皇室典範では、皇位継承資格は男系男子に限られます。歴史上で女性天皇は8人存在しましたが、すべて男系女子でした。

例えば最後の女性天皇となった後桜町天皇(在位1762~71年)は桜町天皇が父であり、弟である桃園天皇が亡くなった時にその息子(後桜町天皇の甥)がまだ幼かったため即位しました。その後、甥の後桃園天皇に譲位しています。

男系男子に限定するルールは明治時代の旧皇室典範で初めて明文化されました。改憲の必要はなく法律の改正で女系・女性天皇を容認できます。

将来的に男系男子が悠仁親王のみとなり、皇室維持の困難が予想されるため女系・女性天皇の容認も検討されてきました。一方、戦後GHQ占領下で皇族離脱した旧11宮家の子孫である男系男子を皇族に復帰させる案も示されています。

イギリス王室と日本の皇室に共通点はある?

島国であり議院内閣制で立憲君主制という同じ体制の下、イギリス王室も日本の皇室も「国民統合の象徴」として国民に敬意を寄せられ、政治に関与しないという共通点があります。

両国の国民も、互いの国の王室と皇室に親しみを持ちやすく関心が高いといえるのではないでしょうか。

イギリスの王室と日本の皇室は関係が深い

イギリス王室と皇室の交流は、ヴィクトリア女王の次男アルフレッド王子が来日して以来150年以上の歴史があるといいます。

昭和天皇とエリザベス女王の父であるジョージ6世の間には、祝電や返電のやり取りがあったことが分かっています。さらに昭和天皇は皇太子時代の戦前渡英し、ジョージ5世から立憲政治について学んだそうです。

戦後のイギリスと日本の国交回復も、昭和天皇とエリザベス女王の交流によって導かれました。

現在の天皇陛下は皇太子時代にイギリスに留学し、エリザベス女王に歓待されました。愛子内親王も現地のサマースクールに参加したことがあります。

エリザベス女王の国葬参加が天皇皇后両陛下の即位後初の海外訪問となったことも、大きな節目にイギリス王室と皇室の深い縁を感じさせました。

イギリス王室と日本皇室の違いについて詳しく知りたいときは

イギリス王室と日本の皇室の特徴・違い・共通点などを紹介してきました。どちらも「国民統合の象徴」として愛されている存在です。

イギリスでは絶対君主制から民衆が主権を勝ち取ろうと闘った歴史があり、第二次世界大戦下ではエリザベス女王ら王族が軍人として活動するなど王室と国民が共につくり上げてきた信頼があります。

日本では戦後GHQが主導した現行憲法によって象徴天皇制が成立しました。しかし昭和天皇が戦前戦後を通じて国民に心を寄せていたことは歴史的資料などから明らかであり、天皇陛下や皇族の存在は今も国民の心の支えとなっています。

当サイトにはイギリス王室や日本の皇室に関する記事が多数ありますので、ぜひ読んでみてください。

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