松竹の映画製作の歴史 Part4 〈日本初のトーキー、そして大船撮影所へ〉 | 您所在的位置:网站首页 › 日本の映画史 › 松竹の映画製作の歴史 Part4 〈日本初のトーキー、そして大船撮影所へ〉 |
1927年
サイレントからトーキーへの変革
1927(昭和2)年、アメリカで発表された最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』の興行的成功は、倒産寸前の製作会社ワーナー・ブラザーズを立ち直らせただけでなく、ハリウッド全体にサイレントからトーキーへの変革をもたらしました。 1931年 トーキーとして作られた日本の最初の成功作品『マダムと女房』 そして完全な形のトーキーとして作られた日本映画の最初の成功作品は、1931(昭和6)年の松竹蒲田の五所平之助監督作品『マダムと女房』です。 1929(昭和4)年外遊から帰国した城戸所長は、対外的には松竹のトーキー進出は時期尚早と答えて口を閉ざしていましたが、大阪松竹座の楽士でヴィオラの名手の土橋武夫とセロ奏者の春夫の兄弟が、アマチュアでよくぞここまでというレベルのトーキー研究をしていたのを知り、蒲田撮影所内に秘かに研究室を設けてバックアップし、遂に1931(昭和6)年1月に「トーキー進出」を宣言しました。 「正直なところ、日本でこれだけのトーキー映画が作れるということは想像しなかった。 外国トーキーを見馴れた目にも直ちに楽しめる。音響効果も、6年の歴史を持つ日本のラジオでさえ顔色なしだ。」音楽評論家の堀内敬三がこう驚嘆したほどの『マダムと女房』は、この年のキネマ旬報ベストテンの、堂々の第1位に輝いています。![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 次回・Part5〈映画女優 田中絹代〉 前のページへ 次のページへ |
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