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ムーミンと1969年10月のマンガ番組|俗語半解|note

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『長靴下のピッピ』と『彗星追跡』

1945年(昭和20年)11月26日、37歳の女性作家アストゥリッドゥ・リンドゥギレン(Astrid Lindgren、1907年11月14日~2002年1月28日)の9歳の少女ピッピ(Pippi)を主人公とする、スヴェンスカ語の児童向け小説『長くつ下のピッピ』Pippi Långstrump(Rabén & Sjögren)が刊行された。挿画は29歳のインギリドゥ・ヴァン・ニーマン(Ingrid Vang Nyman、1916年8月21日~1959年12月13日)だ。

1946年(昭和21年)、スオミ(フィンランド)のヘールスィンキ(Helsinki)で、女性作家トゥーヴェ・ヨーンソン(Tove Jansson、1914年8月9日~2001年6月27日)がスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『彗星追跡』Kometjakten(Söderström & Co Förlagsaktiebolag)が刊行された。ムーミン谷(Mumindalen)で楽しく暮らすムーミントゥロレットゥ(Mumintrollet)の家に、大雨の夜に哲学者のじゃこうねずみ(Bisamråttan)がやって来て、地球にもうじき彗星が衝突することをみんなに伝える。ムーミントゥロレットゥは一緒に暮らす小さな動物のスニフ(Sniff)と共に天文台を目指して旅に出る。彼は親友となるスヌースムムリケン(Snusmumriken)やスノルケン(Snorken )やその姉妹のスノルクフルーケン(Snorkfröken)たちと出会いながら旅を続ける。

1948年(昭和23年)、ヘールスィンキで、女性作家トゥーヴェ・ヨーンソンがスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『奇術師の帽子』Trollkarlens hatt(Holger Schildts Förlag)が刊行された。ムーミントゥロレットゥ、スニフ、スヌースムムリケンはある山の頂上で奇術師の帽子を見つける。

1954年(昭和29年)、ヘールスィンキで、女性作家トゥーヴェ・ヨーンソンがスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『危険な真夏』Farlig midsommar(Holger Schildts Förlag)が刊行された。6月のムーミン谷に火山噴火による津波で洪水が起きる。ムーミン谷に行く途中、水に流されたスヌースムムリケンは小さな女の子「ちびミイ(Lilla My)」と会う。

1956年(昭和31年)、スヴェリエ(スウェーデン)のノールシェアピン(Norrköping)で、『彗星追跡』Kometjakten(1946年)の改訂版、トゥーヴェ・ヨーンソンがスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『彗星を追うムーミントゥロレットゥ』Mumintrollet på kometjakt(Sörlins Förlag)が刊行された。

1957年(昭和32年)、ヘールスィンキで、女性作家トゥーヴェ・ヨーンソンがスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『トゥロールの冬』Trollvinter(Holger Schildts Förlag)が刊行された。ムーミントゥロレットゥは11月から4月にかけて冬眠するが、1月のある日、突然目を覚まし、眠れなくなる。彼は女性のトゥー・ティッキ(Too-ticki)と「ちびミイ」と会う。

1963年(昭和38年)11月、「少年少女世界名作全集」50、リンドグレーン作、44歳の山口四郎(1919年6月22日~2008年12月30日)訳、小坂茂(1925年~2022年11月4日)絵『おちゃめなピッピ』(講談社、230円)が刊行された。装本は安野光雅(あんの・みつまさ、1926年3月20日~2020年12月24日)だ。

1964年(昭和39年)12月16日、「リンドグレーン作品集」1、43歳の大塚勇三(1921年1月27日~2018年8月18日)訳、52歳の桜井誠(1912年5月10日~ 1983年5月11日)絵『長くつ下のピッピ:世界一つよい女の子』(岩波書店)が刊行された。

1964年(昭和39年)12月18日、「少年少女新世界文学全集」27、「北欧現代編」、『長靴下のピッピちゃん/ムーミン谷の冬/青二号―とびだせ』(講談社、420円、予約特価390円)が刊行された。

リンドグレーン作、61歳の尾崎義(おざき・よし、1903年3月8日~1969年1月9日)訳、松田穣(1915年~1997年4月6日)さしえ『長靴下のピッピちゃん』ヤンソン作、57歳の山室静(やまむろ・しずか、1906年12月15日~2000年3月23日)訳、36歳の池田龍雄(1928年8月15日~2020年11月30日)さしえ『ムーミン谷の冬』ハムレ(Leif Hamre、1914年8月9日~2007年8月20日)作、43歳の矢崎源九郎(1921年3月26日~1967年2月23日)訳、46歳の寺島龍一(1918年4月27日~ 2001年10月26日)さしえ『靑二号――とびだせ』Blå to – hopp ut!(1958年)

『ムーミン谷の冬』ではトゥー・ティッキ(Too-ticki)が「おしゃまさん」と訳された。

1965年(昭和40年)11月3日、市制施行15周年の年に、三鷹市公会堂が竣工した。

1965年(昭和40年)12月5日、トーべ=ヤンソン作・絵、58歳の山室静訳『たのしいムーミン一家』(講談社、550円)が刊行された。『奇術師の帽子』Trollvinterの翻訳だ。スヌースムムリケン(Snusmumriken)は「スナフキン」と訳された。

1965年(昭和40年)12月10日、「世界の子どもの本」6、トーベ・ヤンソン作、44歳の矢崎源九郎訳、43歳の赤星亮衛(1921年11月22日~1992年2月20日)絵『ムーミン谷は大さわぎ』(偕成社、390円)が刊行された。『危険な真夏』Farlig midsommar(1954年)の翻訳だ。

同書では、スヌースムムリケン(Snusmumriken)は「かぎタバコ屋くん」、「ちびミイ(Lilla My)」は「おちびのミュー子」と訳された。

1968年(昭和43年)4月1日、日本放送協会(NHK)は、テレビ受像機が大半の家庭に普及したことを受け受信料体系を見直し、ラジオ受信契約を廃止し、代わりに、テレビの普通(白黒)契約とカラー契約の形態に変更した。これによりラジオ放送は無料化された。これを期に、日本放送協会、民間放送共にカラー番組が大幅に増加し、全国のニュースも全時間帯カラー放送になった。

1968年(昭和43年)8月30日、「トーベ=ヤンソン全集」5、61歳の山室静訳の短篇集『ムーミン谷の仲間たち』(講談社、680円)が刊行された。『見えない子ども』Det osynliga barnet(1962年)の翻訳だ。トゥー・ティッキ(Too-ticki)は「おでぶさん」と訳された。

1968年(昭和43年)、ヘルスィンキで、『彗星を追うムーミントゥロレットゥ』Mumintrollet på kometjakt(1956年)の改訂版、トゥーヴェ・ヨーンソンがスヴェンスカ語で書き、挿絵も描いた児童向け小説『彗星がやって来る』Kometen kommer(Holger Schildts Förlag)が刊行された。

1969年(昭和44年)1月、「トーベ=ヤンソン全集」7、下村隆一(1928年 ~1969年11月)訳『ムーミン谷の彗星』(講談社、940円)が刊行された。『彗星がやって来る』Kometen kommer(1968年)の翻訳だ。

1969年の少年少女と日本語文芸

日本国の言語文化的に共通度の高い領域民界社会の公共社交習慣の快適さを衰退させるおそれのある急速な人口減少と高齢化は半世紀前に予測されていたが、有効な対策は講じられなかった。

すでに当時の日本国の日本語文化の歴史的集合記憶は失われ、変異しつつある。

1969年(昭和44年)の日本国の推計人口は約1億250万だった。15歳未満の人口比は約24%だった。これは2020年(令和2年)の約12%の2倍にあたる。

『人口問題研究』(厚生省人口問題研究所)第112号(1969年10月刊)に厚生大臣に対する「わが国人口再生産の動向についての意見」(1969年8月5日、中間答申)が掲載された。

 わが国最近の普通出生率は欧米における先進諸国のそれに比べて中ほどよりもやや下位にある。しかし、わが国の人口は,これらの国々のそれに比べて、比較的低年齢の再生産年齢女子人口の割合が大きいから、普通出生率は出生力を過大に表現しているおそれがある。これらの年齢構造の差異を除去して出生力を計量するいろいろの指標、ことに女子人口について、与えられた年齢別出生確率が一定であると仮定した場合、現在の世代の1人の女子が, 一生涯に、平均何人の男女児を生むかということによって出生力を計量する合計特殊出生率でみると、 わが国の出生力は、 世界最低であるといわれているところの若干の東欧共産圏諸国のそれを除いて、最も低く、欧米における先進諸国の出生力はほとんど全部わが国のそれよりも上位にある。 わが国の人口が、1世代後に、現在よりも減ることなく、 ある大きさで静止するためには、現在の死亡確率の下において、2.13強の合計特殊出生率を必要とする。 これは出生力からみた人口の静止限界である。ところがわが国最近の合計特殊出生率は約2であるから、この出生力は、 将来、人口が静止する限界を割っている。 特定の出生確率と死亡確率との均衡によって再生産力を計量するものに純再生産率がある。純再生産率が1であれば、 単純再生産で、人口は、1世代後に静止するポテンシャルを、その値が1よりも大であれば、拡大再生産で、増加人口のポテンシャルを、 その値が1よりも小であれば、縮小再生産で、減退人口のポテンシャルをもっていることを示している。わが国最近の純再生産率は1を割って縮小再生産のポテンシャルをあらわしている。なお,わが国最近の純再生産率は、若干の東欧共産圏諸国のそれを除いて、世界最低である。 わが国の合計特殊出生率が人口の静止限界を割ったのは昭和32年であり、 純再生産率が1を割ったのは昭和31年であって、それいらい、合計特殊出生率も純再生産率も静止限界を割ったまま10年以上も経過している。 欧米における先進諸国でも合計特殊出生率や純再生産率が人口の静止限界を割ったことはめずらしくなかったが、そのような状態が10年以上も続いたことはまれであった。 要するに、わが国近年の出生力ないしは人口再生産力の人口学的意義は、 (1) わが国の出生力も再生産力も若干の東欧共産圏諸国を除いて、世界最低の部に属するということ。 (2) 出生力も再生産力も人口の静止限界を割っているということ、そして、 (3) そのような状態が10年以上も続いているということにある。 わが国の出生力、 したがって,人口再生産力はこれらの人口学的基準からみて下がり過ぎているということができる。

国民人口と都市部住民人口が増え続けた1960年代後半から、日本では子供の娯楽消費に多くのお金を使える裕福な世帯が増え、大学進学者が同世代人口の2割に達した。独り暮らしの大学生を含め、各世帯にテレビ受像機が普及したことによって、高等学校、大学の進学者で、日本語の知識をもっぱらテレビ番組や週刊誌の漫画を通じて得る者が増え始め、文語の長文の文書を読む習慣をもたない高学歴者が増え始めた。

1969年(昭和44年)頃の日本語テレビ番組で最も人気があるものは、小学校低学年程度の日本語教養を共有する子供から老人までの広い年代層が楽しめるものだった。当時のテレビアニメの対象は小学生だったが、それらは同時代の流行日本語文化において大きな影響力をもった。他方で、中学生から大学生程度の日本語教養が求められる映画劇の人気もあった。

1969年(昭和44年)10月4日、毎週土曜日夜8時から8時56分まで、日本テレビ系列で、ライオン油脂・ライオン歯磨、日立製作所提供、カラーの歌謡寄席番組『8時だヨ!全員集合』の放映が始まった。三鷹市公会堂で9月24日に収録した録画放送で、37歳のいかりや長介(1931年11月1日~2004年3月20日)、41歳の荒井注(1928年7月30日~2000年2月9日)、26歳の加藤茶(1943年3月1日~)、28歳の仲本工事(1941年7月5日~ 2022年10月19日)、36歳の高木ブー(1933年3月8日~)のザ・ドリフターズの番組だ。27歳の坂本九(1941年12月10日~1985年8月12日)が「遠い昔の母の胸に」、21歳の布施明(1947年12月18日~)が「バラ色の月」、20歳の小川知子(1949年1月26日~)が「銀色の雨」、23歳の九重佑三子(ここのえ・ゆみこ、1946年3月21日~)が「愛の世界」を歌った。

1969年(昭和44年)10月5日、毎週日曜日夜6時から6時30分まで、フジテレビ系列で、37歳の吉田竜夫(1932年3月6日~1977年9月5日)原作、吉田竜夫、タツノコプロ制作、33歳の笹川ひろし(1936年7月9日~)総監督、森永製菓提供のカラーのテレビアニメ『ハクション大魔王』全52回の放映が、陣野修脚本「出ました大魔王の話」、31歳の山崎晴哉(1938年2月2日~2002年2月)脚本「モーレツブル公の話」で始まった。

オープニングの主題歌「ハクション大魔王の歌」の作詞は52歳の丘灯至夫(おか・としお、1917年2月8日~2009年11月24日)、作曲は36歳の市川昭介(1933年1月4日~ 2006年9月26日)、歌は12歳の島崎由理(1956年12月6日~)だ。

エンディングの主題歌「アクビ娘の歌」の作詞は丘灯至夫、作曲・編曲は36歳の和田香苗(1932年9月3日~2001年2月8日)、歌は12歳の堀江美都子(1957年3月8日~)だ。

小学2年生、8歳のカンちゃんこと、与田山かんいち(声:は一軒家の二階のベッド付きの子供部屋を与えられている。与田山家は父母とカンちゃんの3人家族だ。ある日の午後、カンちゃんは、この部屋の押し入れから昇れる物置きの屋根裏で顔の描かれた壺を発見する。カンちゃんが壺の前でクシャミをすると、壺の中から魔法使いのハクション大魔王(声:39歳の大平透、おおひら・とおる、1929年9月24日~2016年4月12日)が飛び出して来た。この大魔王はクシャミをすると壺の中から呼び出され、相手がクシャミをもう一度するまでは壺には帰れない。しかも、呼び出したご主人様の願い事を叶えなければならない。

カンちゃんの声を29歳の加藤みどり(1939年11月15日~)が演じた。ハクション大魔王の声を39歳の大平透(おおひら・とおる、1929年9月24日~2016年4月12日)が演じた。

「出ました大魔王の話」で、壺に吸い込まれた直後の大魔王のセリフ「あーのね、おっさん、わしゃかなわんよ」は、浅草の富士館で1935年(昭和10年)12月31日に前篇(74分)、1936年1月15日に後篇(64分)が公開された、38歳の三村伸太郎(1897年10月1日~1970年4月29日)脚本、26歳の山中貞雄(1909年11月8日~1938年9月17日)監督、37歳の大河内傳次郎(おおこうち・でんじろう、1898年2月5日~1962年7月18日)主演の義賊の雲霧仁左衛門の物語を喜劇にした映画劇『怪盗白頭巾』で伝右衛門に扮した37歳の高勢實乘(たかせ・みのる、1897年12月13日~1947年11月19日)が用いて、大流行したセリフだ。

1969年(昭和44年)10月5日、毎週日曜日夜6時30分から、フジテレビ系列で、長谷川町子(1920年1月30日~1992年5月27日)原作の東芝提供、TCJ動画センター制作のカラーのテレビアニメ『サザエさん』の放映が、37歳の辻真先(1932年3月23日~)脚本、村山徹演出「75点の天才!」、辻真先脚本、岡田宇啓(おかだ・たかひろ)演出「押売りよこんにちわ!」、29歳の城山昇(1940年6月5日~)脚本、山本功演出「お父さんはノイローゼ」で始まった。

主題歌「サザエさん」の作詞は32歳の林春生(はやし・はるお、1937年8月18日~ 1995年2月28日)、作曲は29歳の筒美京平(1940年5月28日~2020年10月7日)、歌は22歳の宇野ゆう子(1947年1月25日~)だ。

24歳のフグ田サザエの声を29歳の加藤みどりが演じた。サザエの弟で11歳で小学5年生の磯野カツオの声を35歳の大山のぶ代(1933年10月16日~)が演じた。サザエの母の磯野フネの声を43歳の麻生美代子(1926年4月7日~2018年8月25日)が演じた。カツオの妹で9歳で小学3年生の磯野ワカメの声を32歳の山本嘉子(1936年10月16日~)が演じた。サザエの夫で28歳の会社員のフグ田マスオの声を38歳の近石真介(1931年1月20日~2022年10月5日)が演じた。サザエの父で55歳の会社員の磯野波平を38歳の永井一郎(1931年5月10日~2014年1月27日)が演じた。サザエの長男で3歳のフグ田タラオの声を33歳の貴家堂子(さすが・たかこ、1936年2月4日~2023年2月5日)が演じた。

サザエさんの実家の磯野家は7人家族だ。

1969年(昭和44年)10月5日、毎週日曜日毎週夜6時30分から、フジテレビ系列で、カルピス提供『カルピスまんが劇場』、トーベ・ヤンソン原作、東京ムービー制作、34歳の大隅正秋(1934年11月26日~)演出、カラーのテレビアニメ『ムーミン』全65話の放映が32歳の山崎忠昭(1936年9月15日~1999年8月)脚本「シルクハットのひみつ」で始まった。

主題歌「ムーミンのテーマ」の作詞は34歳の井上ひさし(1934年11月17日~2010年4月9日)、作曲は42歳の宇野誠一郎(1927年2月27日~2011年4月26日)、歌は19歳の藤田淑子(ふじた・としこ、1950年4月5日~2018年12月28日)だ。

ムーミントロールの声を39歳の岸田今日子(1930年4月29日~2006年12月17日)が演じた。ムーミンパパの声を44歳の高木均(1925年2月26日~2004年2月11日)が演じた。ムーミンママの声を46歳の高村章子(1922年11月9日~2012年6月27日)が演じた。

1969年(昭和44年)10月11日、『8時だヨ!全員集合』第2回が放映された。9月5日に三鷹公会堂で収録された実質上の第1回だ。20歳の小川知子が「銀色の雨」、21歳の黛ジュン(1948年5月26日~)が「涙でいいの」、21歳のいしだあゆみ(1948年3月26日~)が「今日からあなたと」を歌った。

1969年(昭和44年)10月12日、『ハクション大魔王』の陣野修脚本「算数はかなわんよの話」、山崎晴哉脚本「ご主人は大ドロボーの話」が放映された。

「算数はかなわんよの話」に、あくびをされると壺の中から現れる、大魔王の娘アクビが登場した。アクビの声を33歳の貴家堂子が演じた。

1969年(昭和44年)10月26日、テレビアニメ『ムーミン』、山崎忠昭脚本の第4話「ふしぎの泉はどこにある?」が放映された。

スナフキンが登場し、ギターを弾きながら「スナフキンのうた」を歌った。スナフキンの声を42歳の西本裕行(1927年1月3日~2015年4月19日)が演じた。作詞は井上ひさし、作曲は宇野誠一郎だ。

1969年(昭和44年)10月20日、日本コロムビアから、テレビ漫画『ハクション大魔王』から、12歳の嶋崎由理(歌)、コーラス:12歳の堀江美都子、山尾百合子、大江由貴子、コロムビア・オーケストラ「ハクション大魔王のうた」、堀江美都子、ザ・モンジュ(歌)、コロムビア・オーケストラ「アクビ娘」のシングル盤(SCS-89、330円)が発売された。

1969年(昭和44年)11月1日、『8時だョ!全員集合』が三鷹公会堂で生放送を開始した。19歳のジュディ・オング(1950年1月24日~)が「ブラック・パール」、18歳の今陽子(こん・ようこ、1951年11月1日~)のピンキーとキラーズが「星空のロマンス」、22歳の奥村チヨ(1947年2月18日~)が「恋泥棒」、27歳の坂本九が「遠い昔の母の胸に」を歌った。

1969年(昭和44年)11月9日、テレビアニメ『ムーミン』、井上ひさし脚本の第6回「かえってきたノンノン」が放映された。スノルクフルーケン(Snorkfröken)に基づき、音響監督の田代敦巳が大隅正秋の妻の愛称「ノンちゃん」を基に名付けたノンノンが登場した。ノンノンの声を34歳の武藤礼子(1935年3月1日~2006年10月29日)が演じた。



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